どうやって生まれたの?シャインマスカット誕生秘話
目次
そもそもブドウとは……。
ブドウの品種は、世界中に10,000種以上存在し、大きく分けて【黒】【赤】【黄緑】系の3種類に分類される。
日本で栽培されているブドウは、そのうちの50〜60品種ほどで、世界に存在しているブドウの
ほんの一部の種類しか栽培されていないのである。
日本におけるブドウの歴史
世界のブドウに関する歴史に触れると、紀元前に及び、数々の歴史上の人物もブドウを好んだようで、
かのクレオパトラもブドウやワインを愛したとされている。
それでは、日本ではどうだったのか。
日本におけるブドウ栽培の歴史を紐解いていこう。
伝承によると、日本にブドウが渡来したのは奈良時代とされている。
原産地からシルクロードを経て、唐(現在の中国)から渡来した。
諸説あるが、西暦718年(養老2年)日本各地を行脚した僧「行基」が、甲斐国勝沼(現在の山梨県甲州市)にて
ブドウ(甲州種)の栽培を開始したのが日本における最初のブドウ栽培の記録とされている。
他にも、日本でのブドウ栽培の記録はあるが、いずれにしても現在の山梨県を起点とした「甲州種」の
栽培を始めとしたのが、日本におけるブドウ栽培の第一歩とされている。
日進月歩
それから時が経ち、時代は明治。明治政府の奨励もあり、1874年(明治7年)頃から、
勝沼周辺にてワインの製造の為にブドウの栽培が始められた。
しかし、日本人の嗜好にワインが合わなかったため製造量は増えなかった。
加えて、当時ヨーロッパやアメリカで品種改良されたブドウの特性は、日本の土壌風土には適さず
生育することがなかった。
ところが、先人の知恵は偉大なもので、どうにか日本の風土に合わせようと様々に創意工夫を重ねた結果、
今日私達に身近なブドウに次第に近づいていったのだ。
そうしてまた時は経ち、第2次世界大戦後に食生活の欧米化により、次第にワインの醸造量も増えていき、
全国各地でブドウの生産が盛んになっていった。
そしてシャインマスカットは生まれた
さらにさらに時は経ち、1988年(昭和63年)時代はバブル期。
日本中が好景気に浮足立っている頃、ブドウ界にひっそりと産声を上げた品種があった……。
そう、我らがシャインマスカットだ。
シャインマスカットは、農研機構 果樹研究所ブドウ・カキ研究拠点(旧農林水産省果樹試験場安芸津支場)にて
生まれた新品種。
「ブドウ安芸津21号」に「白南」をかけ合わせて誕生した、日本発祥のブドウで、皆さんご存知の
大粒で食味が良く、かつ爽やかな風味が特徴のブドウ。
このシャインマスカット、皮まで食べることができ種も無いことから、丸ごと食べることができるのだが、
この種をなくす為に使われる「ジベレリン処理」、本来は他のブドウ品種の裂果を防ぐために行われていた作業だった。
ところが、この「ジベレリン処理」を行ったところ、まったくの偶然により、種無しブドウが誕生したのだ。
世紀の発明というのは、偶然から生まれることもあるものだ。
まとめ
今日、シャインマスカットの味覚を楽しめるのも、先人たちの創意工夫や血と汗と涙の結晶だと思うと、
シャインマスカットの一粒一粒の重さもまた、感じ方も変わってくるように思います。
なるほど、シャインマスカットが高価な理由も納得の理由ですね。
本年も東京を始めとした、日本全国の皆様に私達が育てた、朝どれ新鮮シャインマスカット等の農産物を
お届けいたします。
以上、信州「HoshinaFarm」よりお届けいたしました。
ここまで本ブログを読んでいただきありがとうございました。